住まいとくらし~昭和から現在、そして「未来へ、これからも。」公社アーカイブ15年史②
団地コラム2025.05.15
2025年9月15日、神奈川県住宅供給公社は創立75周年を迎えます。
神奈川県住宅供給公社の前身である「財団法人神奈川県住宅公社」が設立されたのは1950年(昭和25年)のこと。戦後の住宅不足の解消と都市の不燃化を進め、急増する県内人口に対応する大規模住宅団地の建設、先駆的なモデルとなる住宅供給など、常に時代の要請に対応した住まいとくらしを提供してきました。現在もコミュニティを醸成する住宅や、保有資産を活用した団地や周辺地域の活性化により、よりよい豊かな暮らしの提案をしています。
この75年を6回の連載で公社の年史と共に振り返っていきます。
公社のこれまでの年史は公社のアーカイブ「年史」WEBページでご覧いただけます。
https://www.kanagawa-jk.or.jp/outline/archive/nenshi.html
楽しい暮らしを造る 神奈川県住宅公社創立15周年記念 本編(1965年9月)←クリックすると年史の電子ブックに飛びます
1960(昭和40)年発行の公社の創立15 周年の記念誌。本編と資料編にわかれています。
本編は小説のような文章から始まっています。
太古。人類が地上に誕生して以来、『住まい』は人間の生存にとって、一時とも忘れることのできないモチーフであった。
ある時代は竪穴に住み、ある時は石を積み、土を練り、木を組み、その住まいに火を運び、たくましい手作りの器を生んだ。
人類の知恵と文明は、こうして生まれ。そして育った。
まるで、小説?エッセイ?ポエムのような文章。本編はこの後もこのテイストが続き、今見ても、ポエム付き写真集かのように楽しめる一冊です。
当時の公社会長は、
「戦後の復興史と共に歩んで参りました当公社も、ここに15周年を迎え、公社設立の2大目標である住宅難の緩和と、都市不燃高層化のために、些かなりとも所期の目的は達成し得たものと信ずる次第であります。
時代の変遷に伴い、住宅問題は都市再開発或は所謂ニュータウン問題を始めとし、新しい国づくりのための数々の要請に対応する複雑困難な、然しながら極めて積極的な使命を担うに至ったのであります。」
と挨拶しています。
1945年の終戦から20年、公社としては当初期待された目標は一定程度達せられ、次の時代の新たな役割に転換。急増する勤労者世帯に対応するため、住まいの大量供給が求められる時代に突入しました。
この15年周記念誌は公社が当時開発した「汐見台団地」をメインに、団地に住まう人々の暮らしも切り取った写真集になっていて、高度経済成長を真っ只中、新しい国づくりのために奮闘している公社や国民の姿が感じられます。
「核家族」が流行語となるのはこの記念誌発行の2年後。主婦のアイロンがけやショッピングの様子、子どもたちの笑い声が聞こえてきそうな写真など、新しく、豊かな日本がここにあります。
賃貸住宅
当時の団地人気は相当なもので、入居の応募倍率が100倍を超すこともあり、なかなか入居できないものでした。
産業労働者住宅
いわゆる社宅です。「県住宅公社の事業の中でも、産労住宅の建設は、相当の比重を占めている」という記載のとおり、賃貸住宅や分譲住宅より社宅の方が供給戸数が多い時代もありました。
プレハブ住宅
公社で中層のRCプレハブ工法が導入されたのは昭和39年度。大量生産、工期短縮、コスト削減などを可能にしました。
分譲住宅
分譲住宅には独立住宅と共同住宅ありました。独立住宅とは、いわゆる一戸建て住宅を指します。現在、マンションを購入して住むことは一般的ですが、このころはまだ共同住宅を持ち家にすることに抵抗があったようです。
市街地改造住宅
市街地にある1、2階が店舗や事務所で、それ以上の階が住宅となっています。
そして、この年史には、これから開発する団地も掲載されています。
二宮団地
用地取得が昭和36年、造成開始が37年の二宮団地。この航空写真では造成工事がほぼ完成しています。二宮町のベッドタウン化はここから始まりました。
相武台団地
昭和40年から開発が始まった相武台団地。まだ模型の状態です。
ちなみに、冒頭のポエムのページに掲載されている土器は、「汐見台団地」の開発時に発掘されたものの様です。
楽しい暮らしを造る 神奈川県住宅公社創立15周年記念 資料編(1965年9月)←クリックすると年史の電子ブックに飛びます
資料編は住宅プラン集が8ページ、そのあとの20ページほどが公社が建設した住宅の一覧表となっています。
住宅プラン集
住宅プラン集は以前の団地コラムでも一部ご紹介しました。
住まいとくらし~住戸プラン➀~(025.01.17)
図面の横に記載されている数字とアルファベットは何かわかりますか?
K(神奈川のKか公社のKか不明)の後の2桁数字が設計した西暦の下2桁、RはRC造、木造の場合はWとなっているようです。15年記念誌に記載されていませんが、1950年代はB(ブロック造)というものもありました。
建設事業一覧表
建設事業に関する戸数や着工、竣工月日や施工者名の一覧表です。
最後のページには昭和33~39年度の住宅相談所の取り扱い件数が記載されています。
数字を見るとこの7年で賃貸住宅の相談は5倍に、分譲に関する相談は7倍に増えていることがわかります。
住宅の需要があったことが数字に反映されている面白い表です。
今回、ご紹介した15年史の本編は、ほぼ「汐見台団地」の写真で構成されています。
この年史の動画版のような記録映画を紹介します。
1968(昭和43)年3月に完成した「汐見台団地」(横浜市磯子区)の記録映画。
数年前に倉庫でフィルムを発見し、デジタル化した動画です。
1960(昭和35)年頃(※)の着工から、1967(昭和42)年6月4日の完成式、また当時の人々の暮らしなどが収められた貴重な映像です。
※動画内で起工式が昭和35年1月28日とありますが、 正しくは昭和36年1月となります。
次回は、「住まいとくらし ~住みよい暮らしを創る 神奈川県住宅供給公社20周年記念誌~」をご紹介します。