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住まいとくらし~昭和から現在、そして「未来へ、これからも。」公社アーカイブ25年史、30年史④

公社のこと2025.07.15広報担当

2025年9月15日、神奈川県住宅供給公社は創立75周年を迎えます。

神奈川県住宅供給公社の前身である「財団法人神奈川県住宅公社」が設立されたのは1950年(昭和25年)のこと。戦後の住宅不足の解消と都市の不燃化を進め、急増する県内人口に対応する大規模住宅団地の建設、先駆的なモデルとなる住宅供給など、常に時代の要請に対応した住まいとくらしを提供してきました。現在もコミュニティを醸成する住宅や、保有資産を活用した団地や周辺地域の活性化により、よりよい豊かな暮らしの提案をしています。

この75年を6回の連載で公社の年史と共に振り返っていきます。
公社のこれまでの年史は公社のアーカイブ「年史」WEBページでご覧いただけます。
https://www.kanagawa-jk.or.jp/outline/archive/nenshi.html

住みよい暮らしを創る 神奈川県住宅供給公社25周年記念誌(1975年9月)←クリックすると年史の電子ブックに飛びます

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25周年記念誌は1975年の発行。

表紙は竹山団地(横浜市緑区」。1968年(昭和43)年から開発を行っていた約45ha、総戸数約2,800戸の大規模団地です。この時代は都市部での環境破壊などの生活環境公害が話題になっていて、計画にあたっては自然と人工物の調和が心がけられました。団地のシンボルである人工池は、造成前にあった小川や田んぼを飛ぶトンボが、団地建設後も飛び続けられる生態系の再現をしたいとの発想から生まれたもので、これまでの団地にはなかった水(人工池)を再生することをコンセプトにした設計になっています。

そして、当時の神奈川県知事の下記のあいさつからはじまります。

「県政は財政問題をはじめ幾多の問題を抱え、かつてない深刻な事態におかれております。」

1975年の日本は、1973年のオイルショックをきっかけに高度経済成長が終焉を迎え、完全失業者が100万人を突破、経済不況が深刻化していた時代です。国連総会では「障害者の権利宣言」が採択され、世界的に障害者の権利保護や社会参加に向けた施策の整備が加速しました。この県知事あいさつの中でも、人間尊重、福祉優先の推進において住宅対策は欠くことのできないことや、住宅規模の拡大、整備の充実など快適な住まいづくりをする「量より質へ」の転換期が来ていることなどが記載されており、公社住宅への要求が高度に多様化してきたことが感じ取れます。

 

25年史は、建設一覧表や戸数表、団地配置図がメインの年史になっています。

⑤25年史 住みよい暮らしを創る 25周年_ページ_50_画像_0001.jpg⑤25年史 住みよい暮らしを創る 25周年_ページ_54_画像_0001.jpg⑤25年史 住みよい暮らしを創る 25周年_ページ_58_画像_0001.jpg⑤25年史 住みよい暮らしを創る 25周年_ページ_55_画像_0001.jpg⑤25年史 住みよい暮らしを創る 25周年_ページ_57_画像_0001.jpg

1973 年に完成した、神奈川県住宅供給公社本社ビル(横浜市中区日本大通33番地)。
周りのビルや日本大通りの車道と歩道のサイズが今とは異なっています。
あれ?屋上にはまだ社名が記載されてないですね。

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現在の公社2024年12月撮影
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住みよい暮らしを創る 神奈川県住宅供給公社30周年記念誌(1980年9月)←クリックすると年史の電子ブックに飛びます

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1980年に発行された創立30周年記念誌。

表紙は何を表しているのでしょうか?色々考えてみたのですが、、、不明です...。

この記念誌でも団地で暮らす人々の様子が分かる写真がいくつか掲載されています。

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30周年記念誌は当時の神奈川県知事と理事長のあいさつからはじまります。
知事は
「県下の住宅事情もここ数年、大きく変化し、住宅数が世帯数を上回るまでになり、住宅建設の目標も「量から質」を考える時代を迎えることになりました」

理事長は
「今日の住宅供給は、量から質への転換とも言われ、住宅規模の拡大、設備の充実等高度かつ多様化が要求され、ニーズに応えるべく努力を重ねておりますが、用地費の高騰、公共関連の住環境の整備、建設コストの値上がり等により、価格が上昇し、業務の推進を困難なものにしております」

年表にも、昭和53年(1978年)の流行語として「不確実性の時代」と入っており、未来の予測が困難な状況であったと推測できます。
そんな中でも公社は、現在開発中の団地として「秦野南が丘団地」(秦野市)と90haの大規模団地「横浜若葉台団地」(横浜市旭区)を紹介しています。

⑥30年史 住みよい暮らしを創る 30周年_ページ_62_画像_0001.jpg⑥30年史 住みよい暮らしを創る 30周年_ページ_63_画像_0001.jpg⑥30年史 住みよい暮らしを創る 30周年_ページ_65_画像_0001.jpg

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若葉台の配置計画図には現在のバスの系統名に残っている「地区公園」(現若葉台公園)、「近隣公園」(現桧山公園)の文字が。

 

歴代の理事長のコメントも寄せられていて、その中には公社最大の開発面積となった若葉台団地のプロジェクトスタートに関するものも。

「昭和五十二年の始め、どの位の在庫を抱えていたか。造れば売れる時代が去って、世はいつの間にか、買手市場の時代になっていた。(略)(若葉台団地について)自転車操業と言われる公社の経営実態からみて、また、良質廉価なものであれば、売れないはずはないという期待をこめて、建設にスタートをした。(略)社運をかけてと壮語しただけあって、有難さ、ひとしおのものがあった。」

 

この後、昭和60年代に入ると地価・建築費の高騰はさらに進み、その後のバブル経済崩壊へと日本は進んでいくことになります。

次回は、「公社住宅の軌跡 神奈川県住宅供給公社50年史」をご紹介します。

 

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