Loading...

TOP > くらしリノベーション > 住まいとくらし~歴史と変遷~ > 住まいとくらし~団地のお風呂の歴史~

住まいとくらし~団地のお風呂の歴史~

2023.07.18

 お風呂の歴史

 1950年代までは内風呂がある家はあまりありませんでした。家庭風呂の普及率が60%を超えたのは1963年頃。それまでは入浴は銭湯で、というのが一般的でした。
 公社が設立されたのが1950年ですが、設立初期に手掛けた住宅は建設省(当時)の公営住宅標準プランを採用しており、浴室はありませんでした。しかし、その2年後、1952年には浴室がある公社独自プラン「K52-R7」を設計。1953年6月にその第1号が竣工すると、それ以降、公社の住宅は浴室がある住宅が標準となりました。ただし、浴室に浴槽・風呂釜はなく、入居者自身が購入して設置することになっていました。平成17年まで入居者による設置方式は続き、公社ビルで団地の契約会が行われる日には、ビルの前の日本大通りに公社ビルの前に浴槽・風呂釜販売店が来て営業をかけにきていました。

5年史34人研ぎ.jpg
K52-R7型住宅の浴室:入浴は銭湯というのが一般的だった1952年、浴室付きの住宅を標準プランとして採用しました。浴槽・風呂釜は設置されておらず、入居者が設置していました。手前にあるのはジントギ(人造研ぎ出し石)製の洗面器。洗面だけでなく、洗濯を行う場所としても使われていました。

 浴槽は木製で足を折りたたんでやっと入れる大きさの浴槽だったようです。1964年頃からホーローが使われるようになり、ステンレス、そして現在主流のFRPへと変わりました。

 風呂釜も様々な方式が混在していたようですが、その多くは浴室内の酸素を燃焼に使うものでした。浴室に外気を取り入れないと一酸化炭素中毒の危険がありましたが、1965年に外気を取り入れる「バランス釜」が登場すると一気に主流となります。1970年にはBF釜にシャワー機能が追加され、浴室シャワーを浴びることが日常化。その後は強制給排気のFF式、屋外に設置するRF式給湯器へと変化していきます。RF式給湯器の普及に伴い、1つの給湯器で浴室・洗面・台所すべてをまかなうセントラル給湯が主流になっていきました。
 また、団地でもバランス釜に変わり、壁を貫通させて設置する壁貫通型の給湯器も普及していきます。電源を接続して使う壁貫通型給湯器の普及により「お風呂の自動化」が進みました。
 今では、温度自動調節機能や乾燥機能付きの浴室など、暮らしの中の重要なものとして、進化を続けています。
(参考:キッチン・バス工業会 40周年記念誌)

図19.png
「アンレーベ横浜星川」横浜市保土ヶ谷区 、1954年竣工の団地を2019年にフルリノベーションしてユニットバスが入りました。
図20.png
現在の公社の賃貸(「二宮団地」中郡二宮町)、以前は浴槽・風呂釜は入居者が設置していましたが、現在は浴槽・風呂釜(給湯器)が標準装備となっています。また、コンクリートにペンキ塗りだった壁や床にもパネルが貼られ、ユニットバスのようになっています。

f_kajigaya_S_yokusitu_001.jpgf-kajigaya_S_yuwakasi_001.png図9.png
現在の公社の賃貸  フロール梶が谷(川崎市高津区・2021年竣工)
お湯張りや温度調整もボタンでできるようになり、昭和40年代以前のお風呂ではしばしば起こった沸かしすぎや水が溢れることはありません。また、換気乾燥機が設置され、衣類乾燥などが行えるだけでなく、入浴前に浴室を暖房しておくことも可能で、いわゆるヒートショック対策にもなっています。

図5.png
東本郷団地(横浜市緑区)での入浴シーン
公社創立70周年コンテンツ企画「夢の団地思い出フォトコンテスト」投稿写真より

図6.png
公社創立70周年コンテンツ企画「LifeField~皆様からの声~」森口拓生(「緑ヶ丘団地」ミドラボ:東京工芸大学大学院工学研究科)より「風呂釜(バランス釜)を見たのは初めてでどうやって使うかわかりませんでした。」https://www.kosha33.com/kjk70th/voice/post-9.php