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住まいとくらし~間取りとくらし①~

2023.03.16

西洋文化の浸透による寝食分離

 戦後しばらくは、日中は畳にちゃぶ台があり食事をし、夜になるとちゃぶ台を片付けて布団を敷くというのが普通でした。そこへ西洋から椅子とテーブルで食事をするという新しい文化が入ってきました。1951年、建設省(当時)の公営住宅向けの51Cというプランが導入されると、台所のすぐ横で食事をとるダイニングキッチンとして定着します。
 食事室が台所と一体となることで、それまで食事をしていた和室の利用方法が変わり、畳の上に絨毯を敷き、ソファなどの応接セットを置いたり、急速に普及したテレビやオーディオ、ステレオも和室に置かれます。それまで食事室や寝室も兼ねていた和室が居間専用として使われるようになりました。
 家具も茶箪笥からサイドボードへと変化し、洋酒などを入れて飾っていた家庭も多かったはずです。

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1951年竣工 2K(29.44㎡)

この間取りは公社の賃貸第1号の大和町(横浜市中区、1951年8月竣工)に採用されたのは建設省(当時)のプラン「49C」。
戦後の住宅難、賃貸住宅と言えば木造長屋だった時代、日本の将来を見据え、水洗トイレ、ガスが使えるキッチンのモダンな鉄筋コンクリート住宅。バルコニーには洗濯ができる人造研ぎ出し石製の流しが設置されています。
この時代、まだ内風呂はなく入浴は銭湯が前提でした。

1952年竣工 2DK(35.40㎡)

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そのすぐ後に戸手第4賃貸住宅(1953年3月竣工)などで公営住宅の名作と名高い「51C」を採用。台所が広くなり、ダイニングという概念が生まれ始めたのもこの間取りをきっかけとするといわれています。
台所横に浴室がありますが、このスペースはもともとの建設省の標準プランでは物入でした。ここに給排水とガスを引き浴室としたのは神奈川県住宅公社の独自改良です。

1953年竣工 2DK(37.30㎡)

公社設立から2年後、1952年には神奈川公社オリジナルプランとなる「K52-R7」を主力間取りとして設定。銭湯が当たり前の時代に導入された浴室付きプランです。
台所の横にテーブルとイスで食事をするスペースを確保したこのプランは。西洋の文化にあこがれる時代に庶民のあこがれとなりました。
その後1955年には日本住宅公団(現UR)が設立され、団地のダイニングキッチンは時代にマッチし急速に浸透。寝食分離が進むきっかけとなりました。

この間取りは改良を加えられつつ、この後10年以上、公社の主力プランであり続けます。

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こちらはK52-R7タイプ第1号、産業労働者住宅「東芝小向住宅」(川崎市幸区・1953年竣工)の室内写真。
この頃はまだ終戦から8年。
ダイニングキッチン、内風呂といった戦後の新たな暮らし方を先取りした団地ライフは庶民のあこがれとなりました。
中央の写真は浴室の写真ですが、浴槽・風呂釜がありません。当時は入居者が自身で業者に発注して設置していました。

(~間取りとくらし②~へ続く)